<インタビュー:松田博公先生> 究極のわざへ 〜日本鍼灸を求めて〜

2023年末、1冊の電子書籍が発売された。
本のタイトルは「松田博公対談集 究極のわざへ : 日本鍼灸を求めて Ⅲ」
鍼灸ジャーナリストであり、ご自身もあはき師である松田博公先生の「日本鍼灸を求めて」シリーズの第三作だ。
本の紹介や出版にかける想いのほか、松田先生が伝えたい日本鍼灸(あはき)や現代あはきが抱える複雑さ、一方で現代あはきが持つ包容力、社会との関わり方なども語って頂いた。

さまざまな視座から語られるその見識に圧倒されながらも、より大局的に、より局地的に物事を考察できるようになりたいと感じさせられるインタビュー。
ぜひご覧下さい。

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Q.本の紹介をお願いします

松田先生
 この本のまえがきで書いたのですが、わたしは2008年から2013年の5年間、隔月誌『鍼灸ジャーナル』(緑書房)で、30人の鍼灸師ほかの方々と対談しました。元々この対談シリーズは、日本伝統鍼灸のきら星輝く名人地図を描きたい、というのが目的でした。しかし、出版社の方針転換で、『鍼灸ジャーナル』が30号で廃刊になり、中途で挫折したわけです。その連載対談の半分近くは、『日本鍼灸を求めてⅠ』(緑書房、2010年)と『日本鍼灸を求めてⅡ』(同、2013年)の2冊の単行本になりました。『Ⅰ』には、傳田光洋、藤本蓮風、吉川正子、スティーブン・ブラウン、ジェファリー・ダン、向野義人ら皮膚科学者、鍼灸師、医師の6人との対談が、『Ⅱ』には、谷岡賢徳、戸ヶ崎正男、鈴木春子、木戸正雄、篠原昭二、形井秀一ら鍼灸師6人との対談が収められています。

 この電子書籍Kindle本『日本鍼灸を求めて Ⅲ』は、単行本の続刊が中断され、未収録のままになっていた12人の方との対談を本にする企画の第1弾で、首藤傳明、小林詔司、村上三千男、大極安子、水谷潤治、二木清文の6人の先生の対談を収めました。さらに2024年5月頃には、石原克己先生や福島哲也先生ら6人を収め、もう1冊出す予定です。「日本鍼灸界のレジェンド(伝説)と言うべき幻の対談を、10年の空白を埋め、令和の現在に甦らせる」というのがキャッチフレーズです笑。

Q.この本を出そうと思ったきっかけを教えてください

松田先生
 きっかけは、昨年2月に亡くなった石原克己先生が与えてくださいました。先生は、2021年11月の伝統鍼灸学会の動画講演で、日本・中国の伝統鍼灸と西洋の量子力学やスピリチュアルな精神性を結びつけるお話しをされました。逝去されたあとに、わたしは先生の発想がどのように生まれたのかを知りたいと思った。そして、『鍼灸ジャーナル』2011年1月号掲載の対談を再読し、先生がのちに「いのちの仕組み」と表現される、あらゆる生命を貫く宇宙的な法則性に、10数年前に目覚め、東西の医療思想を統合する境地に立っておられたことが理解できたんです。先生は、それに至る魂の遍歴、苦悩を詳細に述べていて、この対談は石原ワールド入門の必読文献だと思えました。

 それを弾みに、わたしはさらに単行本未収録の首藤傳明先生、小林詔司先生ら11人の方々の対談を読み進めました。そこには日本鍼灸界の巨星や意欲的な新星たちの、真摯な人生観を通したわざの世界が惜しげなく語られていて、10年経っても色あせないこの貴重なメッセージを次の世代の鍼灸師に読んでほしい、このまま埋もれさせてはいけないと思ったんです。

Q.対談者の先生方を選んだ理由を教えてください

松田先生
 10年前のころの日本の鍼灸界を、わたしは「英雄時代」と呼んでいます。だれが見ても、衆目が一致して、この方は名人だね、ビッグネームだね、著書も出している、という方がずらっといた。頭角を現している注目すべき新星もいた。そういう中からインタビューできる表現力のある方を選んだので、市井に埋もれた「隠れた名人」は選べなかった、という偏りはあります。笑

Q.それぞれの対談で、印象に残っているエピソードやお話はありますか?

松田先生
 今回のKindle本の6人の先生方、それぞれ際立った個性があり、語り口も特徴があって印象的なお話しをしてくださっています。首藤先生は、心を癒す「超旋刺」開眼に至るまでを初期の澤田流に入門し病を乗り越えるところから詳しく語られ、「忘己利他(もうこりた)」の人生訓をモットーにしていると仰るのは、お人柄にぴったりです。

 小林先生は、2022年8月逝去されたのですが、この対談では鍼灸医学の根底に易の太極の思想をすえる理由を基礎から語られ、とても分かり易い「易」入門になっています。  村上先生は東洋はり医学会に於ける福島弘道先生との出逢い、大極先生はベトナムや市川市での小児鍼施術の経験、水谷先生は鍼灸学校卒業後にカナダに移住し、『北米東洋医学誌』を編集しながら世界にお灸を伝える活動、二木先生は鍉鍼治療と脈診に賭ける漢方はり医学会の実践を話しておられます。治療家なら必ず自分の臨床に役立つ共感できる言葉が見つかるでしょう。

Q.先生のモットーである「人が書かないことを書こう」「メディアはあまり取り上げないが、生きるのに役立ち、世界を新しく見直すのに役立つ情報を伝えよう」。
まさしく、滅多に取り上げられないあはき業界のことであるように思えます。先生が世の中に伝えたい「あはき業界」とはどんなことでしょう?
また「鍼灸の挑戦」を皮切りに、日本の鍼灸を伝えたいと思ったきっかけや理由はありますか?

松田先生
 どのメディアでも医療専門記者というと現代医学です。東洋医学に関心を持つ記者がいても、漢方までで、鍼灸を専門にするひとはいません。でも、鍼灸術は古代思想や宗教、哲学とも絡み、ひとの生き方にかかわるとても面白い医療です。一般の人たちはとても関心があるのに、メディアが関心をもたないのはおかしい、というメディア批判も込めて、わたしは鍼灸の取材を続けてきました。こんな面白い、クールジャパンといえる日本文化の領域を伝えないなんて、もったいない、という思いですね。

 ぼくを鍼灸の世界にのめり込ませたのは、『鍼灸の挑戦』のあとがきに、「サムライ」と表現したような一人ひとり個性豊かな鍼灸師さんの人間的な魅力でした。「鍼灸業界」ではなく、個人として定型から外れた「野性の医療」を日々研鑽している鍼灸師のたたずまいを好きになったんです。

 いまは風邪を引いて内科の外来に行くと解熱剤を処方されます。でも、ベテラン鍼灸師に施術を受けると、「この鍼でこのあと、下痢したり熱が上がるかもしれないけど、心配いらないよ。それは治癒反応で、その方が早く治るから」と言います。現代医学の医師はそんなこと言わないし、同じく東洋医学であっても、中国の中医師も言いません。

 熱や下痢、湿疹、痛みなどはからだが自分を治そうとする働きの表現だから、むやみに症状を対処療法で取るのはよくない。根本的な原因を探り、それを解消すれば、症状はなくなる。この考え方は、日本の鍼灸師が江戸時代から伝承してきた、蘭学由来のヒポクラテス医学の「自然治癒力」思想なんです。  目下のコロナ禍の中で、欧米の医師の中に、からだに備わる「自然免疫(自然治癒力)」を高めることこそ、ワクチンを打つよりも大事な感染対策だ、という声が強くなっています。欧米の医療も古代ギリシャの「ヒポクラテスの伝統に帰れ」と言っている。日本の鍼灸師は、自分で気づかないまま、世界の医療の第一線に立っているわけです。業界全体に、というより、一人ひとりの鍼灸師に日本鍼灸の独自の世界的な価値を知り、自信と誇りを持って臨床をしてほしいと思っています。

Q.技術は伝えられなくても思想や価値観を伝えることはできる技術に比べて伝えやすい。「わざ」は伝えられないと感じつつも、今回「わざ」をテーマにした理由はなんでしょう?

松田先生
 『日本鍼灸へのまなざし』で書いたことですが、わたしは自分流の定義で、「技術」と「わざ」を区別しています。「技術」を客観的な表層的ノウハウで専門学校の授業で身につくレベルのものだとすれば、「わざ」は身体の奥深く腹に落ち、無意識の領域から繰り出される動作であり、施術者の生き方、哲学、スピリチュアリティと深く絡んでいます。この区別は、ベテラン鍼灸師なら体感として解るはずです。「わざ」自体は言葉による説明を超えたものですが、「わざ」を生み出す生き方、価値観、理念、こだわり、人間性などは、言葉から垣間見ることができます。今回の対談では、みなさんそれを示してくださっています。

Q.東洋医学や鍼灸の多様性を包括し、いろいろなものを許容して新しい日本鍼灸を構築していくべきと文中で述べられていることが多いと感じました。
多様性と普遍性は対義で、現代医療システムの中では科学的根拠と「誰が誰に施しても一定の効果が得られる」ことが重要視されており、あはきが一般に普及する為にはそういった視点も必要かと思います。
多様性こそがあはきの魅力であり、一方で多様である為に社会に浸透しない理由の1つとも思いますが、アニミズム的な優しさを持つ日本鍼灸(あはき)がさらに多くの国民に受療してもらうにはどのように社会と関わり合えばいいのでしょうか?

松田先生
 これは科学、文化、社会の認識、民族性など複雑な要素が関連する、一言では語れない難問ですね笑。

 科学的根拠を求め、「誰が誰に施しても一定の効果が得られる」ことを重視する現代医療システムが、鍼灸あマ指の治効理論や技術を完全に解明することはあり得ないと思います。これは、宇宙の構造や人体の免疫のメカニズムを完全に解明することはあり得ないのと同じです。量子力学もそれを諦めて確率論に逃げたことから、それが分かりますよね。人体の生理、病理機構や免疫を中途半端に解明して作った薬品やワクチンだから、副反応が必然的に出るわけです。

 だからといって、それではダメだと言うわけではありません。現代医療システムの中で鍼灸あマ指をやりたいのであれば、現代科学という未完成な方法で解明した完璧とはいえない治効理論やそこから考えられた再現性のある客観的・普遍的な技術とされるものを使って施術すればいいだけです。それで満足なら、病院システムの医師の管理の下で、定型的な鍼灸あマ指をやって一生を終わってもいいわけです。

 でも、柔軟な好奇心と「本当はどうなんだ」という自由人としての探究心を持ち続けることのできたベテラン鍼灸師・あマ指師であれば、やがて実際臨床はスタンダードな枠組みを超えた不可知な領域にあることを体感することになるでしょう。マニュアルを離れた不思議なことが起こる世界であると知ることになります。これは、実は現代医療でも起きていることですが、無視され、錯覚だとされ、マージナルな領域に追いやられ、それにこだわる医師は、職場を追われることになります。

 鍼灸師、あマ指師に限らず、わたしたちは、複眼を持ち、多次元宇宙を生きることがますます必要になっているんです。社会やあらゆるシステムは管理がいっそう強化されていくでしょう。戦争や災害、資源枯渇が深刻になり、リスクが増えれば、管理を強めてリスクを避けようとし、目下のコロナ禍からも分かるように、管理が強まれば強まるだけ社会は柔軟性を失い、人々はパニックになりリスクが増えるという悪循環にすでに入っています。

 ですから、管理が強まる現代医療の中で、マニュアル的な理論に基づく施術をしつつも、その枠の外に生命の神秘に直接アクセスする脱マニュアル的で多様な「わざ」の世界があることを忘れず、それを実践する機会を探るという複眼的、多次元的な生き方を追究することで身心の健康を維持しなくてはならない時代だと、わたしは考えています。もう一度言えば、それは鍼灸師、あま指師だけの課題ではありません。

 こういうことを、日本の国内の視野だけで考えても、わたしたちの想像力には限界があります。今回のKindle本の末尾にわたしは、「日本伝統鍼灸〜一万年の智慧」という評論を掲載しました。そこで、わたしが2004年秋、オーストラリアで開かれた世界鍼灸学会連合会(WFAS)で出逢った各国の鍼灸師から感じたことを書いています。

 オーストラリアの鍼灸師は先住民アボリジニの宇宙エネルギー感覚を治療に取り込もうとし、ニュージーランドの鍼灸師は臨床を支える自然観を先住民の海洋民族マオリの「気」の思想と結びつけ、中国系アメリカ人は、ネイティブ・アメリカンの「気」の文化や自然観、宇宙観を取り込み、新たな鍼灸や気功を創造しようとしていました。このようにして、鍼灸はやがてハイブリッドなオーストラリア鍼灸、ニュージーランド鍼灸、アメリカ鍼灸になるでしょう。
鍼灸術は、今後、どんどん世界鍼灸になっていきます。鍼灸あマ指は、日本では展望がつかみにくくても、外国ではむしろ成長していくでしょう。視野を大きく持って、自分の意識の狭い枠を超えることが求められています。その意味でも、「業界全体」ではなく、個人こそが変化をもたらす基礎であり、一人ひとりが強い個人でありたいと思うのです。「アニミズム的な優しさ」だけでない、八百万の神のパワーを帯びた「アニミズム的な強さ」を発揮したいです。

Q.あはきと正しいチャネルを作ることが難しいのは、これまでもそうだし、現代はよりウソやデタラメが混じっているように思います。患者がいいあはき師を探すコツや見分け方はありますか?

松田先生
 患者さんは、それぞれ自分に合った施術者を求めます。わたしが好きになれない施術者でも、患者さんは定着しています。ですから、一般論としてよい施術者の「見分け方や探すコツ」を語るのは難しいです。今は、ホームページで施術者を見つけることが多いでしょうから、それを熟読して、騙されないようにすることが一番でしょうね笑。怪しい施術者はホームページから匂うものだし、真面目で信頼できそうな方も文面から伝わるものです。
どんな病気でもすぐ治る、腰痛は数回の治療で完治する、など効果を前面に押し出した「宣伝」は疑うべきだしサプリメントを売りつける治療院はやめたほうがいい。難問にも親身にアドバイスし、自分が答えられなければ調べて教えてくれる。自宅でできる足湯、温灸、施灸、食事法などの豊富な知識を伝授してくれる。子育て、夫婦関係、家庭の問題、職場の悩み、など人間関係についてカウンセラー的対応ができる人生経験豊富な方など、思いつくままに挙げましたが、まだありそうですね。

Q.対談を通して、松田先生の考える「究極のわざ」とはどんなものでしょう?

松田先生
 日本では、室町時代から江戸初期に掛けて、小槌で腹に浅く金の鍼を打ち込んで響かせる打鍼術が流行しました。彼らの文献を読むと、鍼の奥義は「無心」だと書かれています。つまり、「究極のわざ」の境地は、宇宙万物と一体になった瞑想状態で無意識のまま人為を超えてわざを繰り出すことだというのです。

 「無心」は、室町時代の能楽師、世阿弥が、禅仏教の影響を受けて言い始めたことです。その後、茶道、華道、武道、医道などあらゆる技芸が目指すべき究極の境位としました。これは失われたスピリチュアリティです。現代ではだれも「無心」を鍼灸術の至高の意識のあり方とはしていません。しかし、ベテラン臨床家を問い詰めていくと、必ず、自分で考えもしなかった場所に手が行き、想定しなかった手技を無意識に行ったことがある、と言うに違いないのです。

 昭和10年代の日本鍼灸史に名を残すカリスマ、柳谷素霊は、鍼灸術の求めるべき精神性は、宗教の悟りのようなものだと言っています。この対談では、そのような話題には踏み込めていませんが、対談全体を通した陰のテーマとして、「究極のわざ」があり得ること、鍼灸師は無意識にもそれを求めていることを、わたし自身が確認するためにタイトルにしました。
現代において問題なのは、「無心」が忘れられた歴史的なスピリチュアリティだという以前に、表層的なマニュアル技術以上の精神的な境位を、少し前まで鍼灸師は求めていたという事実さえ忘れられていることです。そのような精神性を求めて鍼灸学校に入る学生は、いま何人いるでしょう。

Q.鍼灸をテーマにしたルポを執筆された先生の取り組みがそもそも希少で素晴らしい事だと思いますが、あマ指があまり取り上げられないことに残念に思ってしまいます。「あマ指」が出版だけでなく、産業としてあまり着目されないのはなぜでしょうか?ビジネス・医業として魅力がないのでしょうか?

松田先生
 鍼灸の書物は、鍼灸師の自己表現として書かれていると思います。本を書いて主張したい鍼灸師がいるからです。主張したいあマ指師が少ないのでしょうか。ビジネスとしては、鍼灸だけでは食べられないと考え、あマ指免許を取る人が多いです。専門学校も、鍼灸科よりもあマ指科の方が倍率が高いです。あマ指が世に言う整体と施術実態として差別化が難しいので、あマ指師自身がアイデンティティを確立しにくくて、自己表現の意欲が湧かないのでしょうか。しかし、そうとばかりは言えなくて、かつての医王会の増永静人先生や同系列のタオ指圧の遠藤喨及先生は、思想的にもわざとしても優れた発信をしておられ、ある意味、鍼灸師よりも世に知られていると思います。

Q.最後に、この本にかける想いをお聞かせ下さい。 

松田先生
 Kindle本は、まだ市民権を持たず、購読者はあまり多くないことは覚悟しています。しかし鍼灸の定期雑誌はほぼ消滅し、専門出版社もなくなりました。これからは、鍼灸あマ指の「わざ」を伝える媒体として、手造りで出版できるKindle本が重要になると思います。今回はその試金石なので、ぜひ、みなさんの購読を期待したいです。

<松田博公先生プロフィール>
1945年神戸市近郊に生まれる
国際基督教大学卒
東洋鍼灸専門学校卒
元共同通信社 編集委員
元東洋鍼灸専門学校 副校長
明治国際医療大学大学院修士課程(通信制、伝統鍼灸学専攻)修了
1999年から5年間、約80人の鍼灸師ルポ全100回が共同通信社加盟新聞社に配信される(のちの『鍼灸の挑戦』)
『鍼灸の挑戦』を出版(岩波新書/第19回 間中賞受賞)
『日本鍼灸へのまなざし』を出版(ヒューマンワールド/日本伝統鍼灸学会創立40周年記念賞受賞)
対談集『日本鍼灸を求めて Ⅰ、Ⅱ』(緑書房)など
2012年、鍼灸の思想を学ぶ会(松塾)を開講

※写真・プロフィール部分はハリトヒト。編集部のご協力を頂戴し、ハリトヒト。自分にしかできない「挑戦」(前編)/鍼灸ジャーナリスト:松田 博公から抜粋させて頂きました。

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